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自然に対する感動をずっと持ち続けたひとがこんな素敵な文章を残していた!という素直な嬉しさを感じた。と同時に子どもの心を持ち続ける、ということは成長しないということではないのだ、という確信が得られ、深い深い安堵が「センス・オブ・ワンダー」を閉じた私の心に溢れてきた。
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自然の中を歩くのが好きで、海や山、砂漠などそこに観察対象がある限り「宝探し」をするのが無上の喜びである私にとって、生活の糧を得るための基盤をつくった都会での生活に終止符を打つことには何の不合理もなかった。自然とは対局にあるともいえる文明の利器、コンピュータを使って仕事をしながら、自分の部屋で働けることになり、北の大地に移り住んですぐに、ゆっくりとこの本を読む時間を得た。それは友人から贈られた本で、じっくりと読みたいがためにしばらく大事に本棚にしまわれていた。ところが開いた途端、自分の想いと共鳴し合う言葉の連続がこの本と私の出会いを「運命」だと思わせていった。読み進むと頭の上の方で「わたしの人生の象徴とも言える本だ!」と声がする。決して大袈裟な気持ちではない。まだ30年余の人生ではあるが、物事に動じなくなった昨今にこの本を読んだときの真のときめきはそう簡単には得難いものである。
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たとえ独りでも花や樹や、風や光の中に居ることが幸福で、今まで訪ねた土地のどれもが私の好奇心を満たしてくれた、と思っている。最近はそれら自然への探究心を超える望みは、我が人生に無い、とさえ思い始めた。
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成人し自活して自分が帰る場所も手に入れた今、物質的欲求の減退もさることながら、じわじわと押し戻す「発見への欲求」が裸の私だと実感している。その価値観が、生きた文章となって記されているのがこの本だったのである。
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著者のレイチェル・カーソン女史はガンで他界したそうだが、丈夫自慢の私も昨夏甲状腺に大きな良性腫瘍が見つかった。当分癌化はしないだろうとの主治医の所見であったが、生まれて初めて自分の生命、寿命というものを意識した。不思議と動揺はしなかった。時間に追われ、都会の喧騒にまみれた生活をしていたら、そして彼女の本を読んでいなかったらこう平然とはしていられなかったと思う。しかし私は、以来大切な好きなものを穏やかに愛でる生活を心がけるようになった。
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20代の私は急いでいた。何をとも定めず目先の目標へと走っていた。大学では色々な課外活動をし、海外でも勉強し、勤めたと思ったら慌ただしく結婚し、転職し、大抵の人が過ごす忙しい青年期に輪をかけたぐらいのスピードで日々が過ぎていった。私の裸の心がぼやけてかすれていき、記憶の彼方へと追いやられていった。人との関わりに紛れてたくさんの着物を取り替えてきたが、それに飽きたのかやはり似合わないと悟ったのか、知人もいない、夫が育った北海道へと望んで来た。裸の自分をさらしてもいいと思える自然がここにはあると思えたからだ。あるいは、子どもを持つようになったら、「人間と自然」を選ぶことができるようにしたいと思ったからでもある。「教える」ではなく、「感じる機会を与える」ことができればと思っている。
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私自身が両親が教育者でありながら、教わったことがあまりないと感じている張本人だ。未知の自然に喜びを感じるために必要な道具、図鑑や海や山への旅をふんだんに与えられた子供時代に私はひとりで自然探索をしていた。記憶の中にも、自然と対話するときにいるのは自分だけである。祖父母の家の庭で落ちた蜜柑の腐敗する甘酸っぱい匂いを嗅ぐ恍惚感も、ヤナギランの燃えるピンク色に密かに憧憬を抱いていることも、夕立前の風にざわめく白樺の葉の音にどきどきすることも、誰にも告げない自分だけのものだ。それにこれは教えてもらうものではない。自分で感じられるようになるものだと思っている。それを、子どもとのふれあいをつづりながら語るのがこのレイチェルの著書であった。この本は私がおぼろげに心に描いていた人と自然との永続的な関わりをはっきりと優しく示してくれていた。
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山に近い北国の小さな家で、静けさの中にいると、五感が記憶する子どもの頃の自然の営みへの興奮と驚きがよみがえることがよくある。新たな感動が訪れることもままある。それが過ぎ去った日々への郷愁なのか、童心への退行現象なのか、と考えたがどうも違う。レイチェルの言う通り、これは終わりのないよろこび、「生きていることへのよろこびへ通じる小道を歩いている」ことの認識なのだと思う。
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最後に、自分はこの本に出会えたことを感謝しつつ、国境や宗教を超えてたくさんの人が「センス・オブ・ワンダー」を読み、このよろこびを知り、確かめることができれば、と心から願っている。私がそうだったように、友人へのプレゼントとしてこの本を贈り、その機会をつくっていこうと思っている。
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