Active Life Pressの歴史 
  
イラスト漫画が上手な大学〜大学院(ちなみに私は院中退です)時代の友人と書いていた「Active Life Press」という紙新聞があり、私はエッセイのようなものを、彼女は体験談マンガを書いていました。

彼女との出会いにも感謝し、なつかしい、文面・紙面を見ながら、今の自分自身までの道程を眺めているつもりで、旧い文章も掲載することにしました。

さしあたり、Sanaの文章を打ち直していきますが、許可してもらえたら、スキャナを使って、「ガチャピン」こと私の友人の楽しいマンガもいつか掲載してみようかなと思っています。

まずは、2人でつくった最後の旧Active Life Press、Vol.10から遡っていきますね。時は1993年、Sanaは留学2年後帰国、就職しその後電撃的に結婚、世田谷に住居を移し、同じ区内の実家に住んでいたガチャピンこと友人は大学院を卒業後、昼夜を問わぬ正義に関わる仕事に就いて奮闘中の頃のものです。

文章に未熟な若さと勢いが…ある…かな?

 
(以下1993年8月記す)

そしてまた日本の夏

昨年の夏は瞬く間に過ぎてしまい、それでもちゃっかり「日本の夏」を取り戻したつもりだった。遠出はまるきりしなかったが、平日や週末の東京の催しものにしげく足を運んだ。

憂鬱な梅雨の時期の仮住まいをたたんで、今の住まいに移ったその日から太陽は真夏の日差し、目と鼻の先に盆踊りの神社、沿線の夏祭り、下町の珍種アサガオ展にはニヶ所にも顔をだし、隅田川花火にも繰り出して、神宮外苑花火は会社から特等席で見物、と何だか(今思えば)半ばやけっぱちなくらい盛りだくさんな過ごし方をした。結局八月は皆勤で、九月に入ってから「夏休まなかったから」と二日間休みをもらい、一足先に秋の気配のススキ野、箱根湿原を満喫したりもした。

そうしてせきを切ったように次々と自分の目の向く方向へ動く日々が続いて現在に至っている。

欲ばりな私には初めてのものはすべてが素敵で心が踊る。頭の中でそれがどういうものか分かっていたとしても、本物を目の前にしたときに、耳に、肌に、感じてそれが体に入りこむときの境地とは比べられない。

かつて私は―それは高校から大学に進んだ頃だったと思うが―悲壮な決意をしていた。「私は自分のやることを選ばなくてはならない。どれかをあきらめなければならない!」たまたま少し器用で多趣味だったせいでそれが自分にとっての宿命と決め付けて、このセリフを何度も唱えては、「いやいや、私はすでにこれとこれとこれに時間を取られることになっているのだから」と、仕切りを作って目を閉じた。

そうして我慢することに慣れ。二十代の半分が過ぎていったのに、今になって思い直している自分がここにいる。好奇心のかたまりのような自分自身を知らなかった訳では無いのに、本当にここに来て、である。

(留学先の)ユタで最後の学期に迷った末、覚悟の上で、成績には響かないような手続きをとり、初心者向けのクラシックバレエの授業をとった。美を追求するプロとはかけ離れたド素人の挑戦ではあったが、最後のテストで自分で振り付けた「アベ・マリア」をたった三分間、夢中で踊り終えたそのとき、期せずして激しく感動して涙がぼろぼろとこぼれた。実際問題、何年かに一度であろう心が打ち震える体験をしてしまったものだから、どうも致し方ない。こうして、自分を自由にすることによって得る感動の価値は、積み重ねられた我慢と追求の時間をいとも簡単に飛び越えてしまったのだった。

欲しいものは何だろう。今の私はここから始めている。知りつつも暴くことを抑えていた自分の発露。幼いときの透明な魂の再認識。本来の「私」は皮肉にも後から現れた「私」によって閉じ込められていたなんて!

ませた小学生だった頃から意識していた「限りある時間」の概念をぐるりとパラダイムシフトして考えたら、むしろやりたいことを次々に思いつくままにやった方が、有効な人生の使い方ができるみたいに思えてきた。とりあえず体力のあるうちに色々手を出してみた方がかえって、後々で吟味する時に絞り込めるのではないか、などと都合のいいことも考える。

働き始め、家事も程々にやり、忙しさは以前にも増して、時間が限られてきているのに、こんなことを思うなんて、性懲りもない物好き、やっぱり欲ばりだと我ながら思う。

世の中では本当に色々な人間が様々な生き方をしながら、日はまた暮れていくのだ、ということがよくよく分かってきた。だが、「私の」今年の夏は今年しか無く、あれよあれよと言う間に流しそうめんをすくいそびれたら、箸の先はやっぱり淋しい。

やせ我慢したところで、多分私はこの世を去るときに、「何をやり遂げたか」ということよりも「どれだけやってみたか」の方を考えるに違いないと思う。少なくとも三十年間弱の間でここまでたどり着いた今までの経緯からすれば、そのはずだ。いろいろな、楽しかったことを次々と走馬灯のように見られたらきっと面白いのではないか。

そんなことを思う鰻を食べ損ねた土用の丑の日、日本の夏の夜は更けていく。
(新しいふるさと、北海道・留萌を初めて見せてもらいに行った年の夏記す)