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まだ7週目に入ったところでしたが、即刻、母子手帳を交付してもらいに保健センターへ行きました。
仕事と同じで、何でも前倒しにしようとする気概が働いていました。この日にはようやく頭のなかのもやが晴れつつありました。 その1週間前、初めて見る5.5mmのそれはエコー画面の中で確かに拍動していました。
北国のサイクルに合わせて冬に産み、春から育てたいという密かな願望があり、それが計算外になったことがまず一つのもや。長年抱えていた「ある問題」に進展があると思われる時期が産み月ごろに重なるというもう一つのもや。そこから広がる数々の暗雲とホルモンバランスの崩れからくる情緒不安定と思われる状態が私をかなり憂鬱にさせていました。 精神(こころ)というのは不思議なもので、身体が制御不能になり、それが続くと、必ずどの時点かで在るべき姿に向かっていけなくなってしまいます。子供を産むのであれば、いつかは絶対にその不便な時期を過ごさねばならないのだということはわかっていても、腑に落ちない。あれも、これも、こんなことまでも、影響・打撃を受けるのだ、と産婦人科を初めて訪れた日、それが確定した日の帰り道の足取りは、重く重く感じました。そのときは切迫流産の危険があったせいもあったのかもしれません。 しかし、欲張りな生活は「丈夫」が資本、と日頃から動かしているこのからだです。その翌週には心身ともに、本来の姿が戻ってきました。まるで何かが寄生(実際に胎児が寄生しているのですが)しているかのように、睡眠、食欲、体力などの自分のエネルギーがコントロールできないことを今は面白く感じられます。週3回のスポーツジム通い、厳寒の気候下での徒歩の買出し、年明けの忙しいパート仕事、一週間の東京出張、そして日帰りスキーと1-2月のハードスケジュールにもめげず、よくお腹のなかにくっついていたものだ、と感心さえします。 そうと認識し、「覚悟」してからは、人として、我が子としての扱いがここから始まることになります。今のところ、この「授かりもの」を、母としての想いに溺れることなく、事象として捉えています。妊娠・出産をすることに関しては、私個人的な生物学的な問題だけでなく、生活的問題、職業的問題、家族的問題にもなっていきます。たくさんの人がこの先この「7週目現在13mm」に影響を受けるようになります。 在宅ワーク、ストレス、健康管理、パート、家のこと、少ない身寄り、などなどたくさんの山積する問題のなかで、変数ともいうべき要素が、さらに増え、予想できないハプニングもきっと起こってきます。しかし直面すれば、何かしらの結果は導けるはずだと今は強く信じています。それがなるべく自分寄りになるように、知恵を働かせていこう。これまでもそうやってさまざまな局面を切り抜けてきたように、そう思っています。 Sanaの毎日の生活と仕事と趣味との間に、子育てという作業が組み込まれることになります。それぞれに気を配れる冷静さを保ちながら、子供を慈しんでいくことは果たして叶うのでしょうか。 いまはまだ、“胎児と対峙“しているだけですが、この子が生まれ落ちたときが、また新たな始まり。
(2001年2月24日記す)
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