現代ディレッタント〜三つの願い    
*ディレッタント:専門家ではないが、文学・芸術を愛好し趣味生活にあこがれる人。好事家。(岩波国語辞典より)

 十代の頃、海外青年協力隊に入りたいと思っていた時期がありました。どこか遠くに行って何か役立つ働き方をしながら暮らしたいと思っていました。今こんな時代になってから思えば、放浪願望ではなかった分、真面目だったと思うのですが、当時最も大切だった友人は私のその願望を生真面目に非難しました。当時の私はその人に対して常にあけすけだったため、例えばアフリカの地平線に夕日が落ちるのを眺めながら1日の労働の終わりとともに詩曲をしたためる、などということができないか、なんて口にしてしまったのです。そんなことを考える事自体、派遣される目的を考えれば不謹慎だ、というのです。 

それはもっともなことだ、と私は反省しました。しかし、生きていくのに楽しみは不可欠です。受験、進路と先に待つものは前に立ちはだかり、性根は楽天的な私も、十代の当時は内証的禁欲ムードを追い払うことができませんでした。何かをあきらめて、大事な結果を得なければならないのだと思わされていました。逃げ隠れしてみたり、逃げ込もうとした先には「活路」はないと諭されてみたり、やがて妥当と思われる方向へしのいで進んだ十代は…いつの間にか終わっていました。十代の悪あがきは、物語や詩・曲の形で残骸を遺すことと
なり、青春のカタルシスの中で、私は創出することの悦びを知ってしまいました。 

その後、様々な出会いがあり、少しずつ利口になり、与えられた場所で自分のやりたいように内も外も変えていくことが出来るようになっていきました。封じていたものたちを解き放ち、あれこれと手を伸ばすことができました。しかしまだ満たされません。完全に自由ではなかったのです。そう、私は完全に自立していなかったのです。 

人より遅く、生きていく糧を稼ぐ道を慌てて捜し、見つけた私は、ただ嬉しくてがむしゃらに働き、その中に喜びを見い出していました。その頃は仕事が最大の関心事で、現実世界に熱中するうちにまた時は流れました。貯金は増えても、仕事のやりがいが増えても、時間は自分のために使えない。結婚もし、伴侶と暮らすことで毎日がびっちり充実していても、心の余裕がどうしても絶対的に足りませんでした。かつての何らかの創作活動の全てが停止し、ただ日々が過ぎていくことが、とても不完全なことに思えていました。 

普通の生活、社会活動、そして自分の世界。全てを満たす生き方はできないものか。三時のおやつにケーキを焼きながら、一人前に稼ぎ、とりあえず世の中に必要な存在でいながら、自分だけのためにピアノを存分に弾けるようなことは有り得ないのか?無理をせずにそれを叶えることはできないのか?…私は、仕事だけ、自分だけ、というような偏った暮らし方をずっと続けることは本望ではない、と思うようになりました。 

現代社会において人間らしく健康に生きるということは、毎日の生活の営みの中で、社会との関わりを持ちながら自分を大切にすることだと思います。全人類に平等に与えられた24時間という1日の時間を費やす内訳は、配分は個人による価値観にもよりましょうが、大別して、生活、仕事、趣味の三つ。家事という生活作業をしなくても済む人種もいるかと思いますが、私にはそれは生きる能力の1つを放棄していることのように思えます。また、生活も趣味も必要なのに、(眠る時間も必要なのに)仕事で12時間外にいるのでは不均衡です。
(趣味を全く持たない、仕事が趣味、もアリ?…私はダメ)。 

家電や食材、各種サービスの進歩で生活作業をする人がフルタイムで居なくても、家庭生活が健全に送れるようになってきました。専業主婦に物足りなさを感じる女性が多くなり得る時代です。これまでに無い、多様性に満ちた暮らし方を求めることはごく自然なことだと思います。そして、これまでの歴史・文化・社会的背景から考えると、充実した暮らしを選ぶ自由度の高さは女性に軍配が上がるように思います。 

バランスのとれた生き方をするのに、女性が絶対に有利であると思う理由は、暮らしの作業を担っている部分が通常男性より多いという点において、です。この頃は料理、DIY、園芸などをこなす生活感のある男性も増えましたが、その背後にはまだ、段取りをする伴侶が見え隠れするあたり、やはりまだまだ殿様仕事の域であるかなと思います。 

三拍子揃った生き方を実践してくれている女性、とホレボレするのは米国でカリスマ主婦といわれるマーサ・スチュワート。彼女は趣味をふんだんに取り込んだ「生活」のスタイルを紹介することをビジネス(仕事)にしています**。私から見ると、彼女はヒラリー・クリントンなどよりもはるかに魅力的です。 

社会人であると同時に自活できる趣味人でありたい、…そして、私が見つけた三つの願いを叶える一つの答えが、今のSOHO生活だったわけです。やってみた今、言える事は、IT時代を享受すれば、その可能性は特に、家庭を持つ女性に拓かれているといっても過言ではないということ。仕事があるから…、家庭があるから…、稼いでないから…を押しのけて、自らの足で現代(いま)に立ち、自分の内から、外からを楽しむ生活を手にしていきたいと思うのです。 
                                        **アプローチは違いますが、日本にも若干いますね。料理関係から著名になったそういう方。

 

(2001年1月10日記す)