超自然現象の夢 
西暦2000年、35歳を迎える自分はどうであろうと小さい頃から考えることがよくありました。授業中に頭の中が遠くまでトリップして我に返ると3分ぐらいしか経っていないことってよくありませんでしたか?そのトリップのよく訪れた行き先が「2000年の35歳の自分」だったので、ああこんなものか、と思った今朝(平成12年9月13日)でした。

またまたヘンな夢で目覚めてしまいました。黄色いベタ色の亀裂が天地を駆け巡り、それが当たると人間が消滅してしまうというものでした。それから逃げ惑う私と友人達。そしてその亀裂を一瞬操るようなカッコよさをみせたのは、友人達の中でまたまたキムタクでした。またSmapかいな、が目覚めの独り言第一声でしたが、「ミーハー」が表に現れず(私はあまりSmapについて人には語りません)深層心理に巣くっているというのは空恐ろしいことだとおもいました。

以前に孤独の裏返し的なことを書きましたが、私の場合独りを決して疎んでいるわけではないので、ネガティブではないのです。むしろポジティブに共感する相手は誰でもいい、TVの向こうにいる、その人のことをある程度知っているぐらいの相手でもいいということなのだろう、とこれまた改めて自覚した次第です。

私がこれだけ「Wonderful Life」を楽しんでいる、ということを心底喜んでくれる人というのはそうそういなく、また私も他人をうらやましがらせるために自己主張しているのではなく、でも何か自己表現の形が必要で、という僅かなジレンマが「若隠居」している35歳の2000年のワタシでありました。

自己完結して、また次へと踏み出すことを人は続けていくのでしょうけれど、あまり挫折や躊躇や失敗をしない人間の記録というのは、価値があるんでしょうかね。私の場合それらを忘れて進んでいるだけでしょ、と自分に皮肉を言いたくなりますけれど。

「自己表現する価値」の模索が現在はテーマです。それがホームページ作成を、1年前から計画しようとしながら、敢えて進めていなかった真の理由です。

仕事もキャリア志向ではなく、どちらかといえば家庭志向でやってるつもりですが、なんだかんだで海外ミーティングなんかにも参加することになってしまいました。キライな仕事ではないので40歳まではそんな中途半端もいいのではないかと思いますが。

そもそも、何が好きなのかというのもまた難しく、たくさんあるので大変です。昔はこれが最大の悩みで選ぶことができなくて、思春期に書いていた詩作の多くはこれがテーマでした。平城・平安時代の文化に憩いを感じ、かつ戦国時代に生まれていたらと夢見ていたあの頃から私はなーんにも変わっていなかった、というのが新鮮なオドロキです。

2000年になっても人間は台風の襲来に刃向かうことはできずにいるのです。私が生まれた日も台風が来て豪雨だったと聞いています。今年は札幌までがその影響を受けているらしくパワーが届いたのでしょうか?

情熱や打算、努力や妥協を終えてきた感のある今日この頃。望みも無く、悩みも無く、私を脅かすものはあるとすれば天変地異しか有り得ないのか?とさえ思わせるような暗示的な夢を見た誕生日の朝でした。

雨は大地に水を含ませ、聴覚を静寂の退屈から解放しつつも、心を閉じ込め、自分の内を歩き回らせているようです。 (2000年9-10月記す。)