![]() キムタクの夢を見るわけ |
人にはイヌ科とネコ科があるというでしょう。私はネコ科なのですが、野良猫属ではなく、飼い猫属であるようです。今のような形の仕事をする前、社会人として最初の職業は外資系企業の秘書でした。つまりは、人に仕える仕事、人をサポートする仕事でした。当時はそれを気に入っていたものの、今の自由三昧の働き方とは全く異なったスタイルで2年半だけ勤め、それ以降イヌ科的働き方はしないままに30半ばになりました。
医薬関係の資格免許を持っていたにも関わらず、親のあこがれ(娘に留学をさせたがっていた)に便乗し、大学で学んだ専門とは全く異なる秘書科の留学プログラムを見つけてきた私は、それだけで十分「気まぐれな猫」そのものでした。都合のいいときは、良い子にすぐなれる、けれどいざとなると自分本位なところが、そして結局他人に依存しているところが、「飼い猫属」でした。親の頼りにならなくなっても、他人が介在しているときは「飼い猫」で、本能のままのネコに戻るのは一人になったときだけです。一人でいることが気に入っているくせに、自分をかまってくれる人がいればいたで機嫌がいいのです。そのことがよくわかったのが、10日間の入院でした。 良性の甲状腺腫で生まれて初めて入院と手術というものを経験し、地元に身内・知人が少ないが故、2人の家族(だんなと義母)以外尋ねてくる人も無く、静かな毎日を送っていたら、入院1週間目に契約先の上司と部下が2人揃って見舞いに来たのです。それまで一人部屋で悠々自適、上げ膳据膳マイペース何て優雅な暮らしだろう、と落ちる点滴をうっとり眺めて十分満足であったはずなのに。札幌に出張でたまたま来る予定になっていることは知っていました。でもいざ、自分を訪ねてもらうと、なぜか私ははしゃいでいました。 その前夜に、私は夢を見ました。なぜかキムタクがホームパーティーに来ており、私が作った鶏のピカタを「これはウマイ!」と誉めたのでした。誰にも打ち明けていませんでしたが、そのピカタは自分でもお気に入りの料理でした。明け方の夢で妙にリアルであり、かつ象徴的でした。院内でTVはNHKニュースしか見ていませんでした。これは何かを見聞きした残響の夢ではなく、「身から出た」ものだと思いました。 実はその夢を見た晩、我が家の飼い猫のれなのことが気になりだして何時間も眠れずにいました。手術後数日で眠剤も飲まず余裕ができたこともあるのでしょう。ボウルの飲み水が凍っていたと報告されたせいもありました。最高外気温が-10℃という時に、れなが1匹ぽつんといる玄関先は屋内とはいえ一体何度なのだという不安がありました。「毛だもの」だから大丈夫、とも思いましたが。。。。。 れなは野良猫兄弟の末っ仔猫でしたが、自ら人の手に寄り付き「飼い猫」になる道を模索した猫だと、私たち夫婦はとらえています。そしてそのれなも、ときに孤独を好み、ときに自分にかまう気のある者が来ると喜びます。門外漢にされると、さっさとひとりを決め込んで眠ったり遊んだりしています。 札幌でSOHO生活を始めてから、SMAPのメンバーが出てくる夢を時折見るようになりました。最初ミーハーで嫌だな、と思ったのですが、よくよく考えると対人接触の欠乏しているときに良く、その類の夢を見ました。SOHOをしているとほとんど他人と口をきくこともなく、考えていることを声に出さない毎日です。業務連絡を電話でやりとりすることはあっても、他愛のない日常会話は皆無になります。そのうちに、SMAPの夢が「気持ちのいい(けれど特に意味のない)コミュニケーション」の欠落部分のバランスをとろうとしている現われ、らしいことがわかってきました。誰でもいい、けど自分の気分を害さない対象として私は彼らを選んでいたようです。 遠隔地のSOHOは、自主性と依存性の共存あってこそ何とかなるものだ、と思います。仕事を契約している会社ばかりに頼らず、他方への探求も怠らず、一方で食いつなげている今の仕事にも執着する姿勢。自分を必要としてくれる「飼い主」に摺り寄り喉を鳴らした直後にカーテンの後ろであくびをしながら耳の後ろを掻いていたりする図太さ。 自由に行きたいところに行けないという意味では、私もれなも同じだ、と退院が決まったその日に思いました。そして、「野良猫」だったらもっと辛いのだ、と。だから、もう心配するのはやめました。 ここでお断り。Sanaは「予知夢」を時々見るのですが、キムタクの夢がくだんの上司の来訪を予知したものではないことは、日の目を見るより明らかです。 (1999年3月記す。)
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