![]() なぜ北に来た?「自宅SOHO生活」に辿り着くまで |
「私だったら冬寒いからゼッタイ無理。」というセリフを何人もの友人が言うなか、私は喜びいさんで北海道への移住計画を夫とともに実践しました。東京生まれ、横浜育ちの私は、雪国の厳しい現実を知らずに、単なる物好き、あこがれでこの地へ飛び込んだのか、、、?
いえ、そんなことはないのです。記憶が鮮明に残りやすい幼少期に、日本ではないけれど豪雪地帯に住んだことがあったから、しばれ道の歩き方や手足の冷え切る感覚は体得していました。一年の半分近く雪を見る生活になることの引き換えに、ほとばしるような春夏の歓喜があることも知っていました。
昔から、冬が好きでした。暑さ、とくに蒸し暑さに心身的に弱い私は南国のビーチでバカンス、というのに魅力を感じたことは無く、メランコリックに吹きすさぶ北風や乱れ降る雪の風景の中に激情を覚えていました。いつのまにか経過していた30回以上の四季のどの時点で冬が好きになったのか、少し考えただけでは思い当たらないあたり、おそらく徐々に惹かれていったのではないかと察しています。暑さについては「嫌悪している」と言っても過言ではなく、湿度に吐き気をもよおし、動くのを嫌うことから、夏季に余計体重が増えることもあってか焦燥感が伴います。但し、汗をかくのが嫌いということではありません。毎日のように雪と格闘して全身ぐっしょり汗まみれになった記録的豪雪だった昨冬は、一言、「楽しかった」。これ、単なる雪かきですが。 ここに来た理由、それは多面的な背景がありました。夫が北海道出身の一人っ子で義母が独り道内に暮らしていること、首都圏では帰着点となる自分達の「居場所=マイホーム」がやすやすとは手に入らないこと、まだいませんが子供が育つのに東京は恵まれた環境とは言い難いこと、高収入と引き換えに自由な時間・健全な身体精神が奪われる一方であること、そして札幌が住みたい土地であること。 これからActive Life Pressを読んで頂く方は気づかれると思いますが、私は「直感と本能」で勝負することがしばしばあります。私はそのインスピレーションにロジックを肉付けする性分です。しかしこれまで後悔は一度もなく来られていることから、このやり方は「Sanaの信条」とも言えるものです。札幌Sapporo移住は私の直感のち後づけ理論からしても正しい選択でした。 道は拓かれるとも、拓くものだとも言いますが、「拓こうとして初めて拓かれる」というのが正しい答えだと思います。SOHOのスタイルで仕事ができることになったのも、まさにこの「やり方」が功を奏したものです。コネの少ない、友人知人の居ない、知らない土地で、SOHOというのは一見無謀ではあります。ですがそんな一例がここにあります。 かくして北へ。1998年4月から道民になりました。東京の勤め先へ働きかけが上手くいき、社内初の在宅契約社員となった私はパソコン通信を利用して仕事をする傍ら、時間をやりくりしてもう一つ外で医療関係の仕事をしています。総収入は下がりましたが、自由時間は増え、生活必要経費も下がっています。 デュアル(ふたまた)キャリアを実践し、その合間にママチャリこいで物件探し、その年の夏には空き家となっていた今の家を見つけて1年前に移り住み、現在に至っています。敷地の3分の2は庭、ほんとに小さな平屋の古家を直して住んで3度目の冬が来ました。札幌の中心まで30分弱の古くからある静かな住宅地に、家賃並みのローン(東京23区内に住むよりもちろん安い!)が数年後には償還完了する価格で、「安息の地」が手に入りました。 山も川も、鳥も花も、青空も星空も、都会も文化施設もデパートも交通手段も、すぐ手の届く生活です。そして、雪。今日も降り積もり、私を閉じ込め、やがて開放する冬の空間が、澄んだ大気をはらんで、長らく続く日々です。 これが、「自宅SOHO生活」開始までの要約的ストーリーですが、次回からはそのプロセスをもう少しずつ切り取りながら、書いていこうと思います。こんな働き方、生活のしかたも、あるのだと思って読んで頂けたら幸いです。 (1999年1月記す。) |